「平成の鬼平」 元日弁連会長・中坊公平さん 京都市内の病院で心不全のため死去 83歳

2013年05月05日 20:28

 どのように偉大な方でも、やはり同じ人間であることを再認識させられます。

 「平成の鬼平」こと中坊公平さんが、京都市内の病院でお亡くなりになられていました。
 心からおご冥福をお祈りします。






中坊公平さん死去 83歳、元日弁連会長

2013年05月05日19時49分


OSK201305050027.jpg 社会派弁護士として知られ、「平成の鬼平」とも呼ばれた元日本弁護士連合会会長の中坊公平さんが3日、心不全のため京都内の病院で死去した。83歳だった。通夜は4日、家族葬は5日に京都市東山区の自宅ですませた。喪主は妻淳子(じゅんこ)さん。

 京都市生まれ。1957年に大阪弁護士会に登録。55年に発生し、乳児130人が死亡するなどした森永ヒ素ミルク中毒事件の民事訴訟で、被害者弁護団長を務めた。高齢者らから約2千億円を集め85年に倒産した豊田商事事件では、同社の破産管財人となり、債権者への1割以上の配当という目標を実現させた。

 90〜92年、日弁連会長。93年には、香川県・豊島の産業廃棄物不法投棄問題をめぐり、住民側の弁護団長に就いた。2000年に国との公害調停を成立させ、廃棄物行政の誤りを認める同県の謝罪を引き出した。

 政府の司法制度改革審議会委員を99年6月から務め、「司法改革はまず弁護士から」と主張して弁護士人口の大幅増などを提案した。警察不祥事を受けて設置された警察刷新会議委員や小渕内閣の内閣特別顧問などの要職も歴任。民主党から「首相候補に」と打診されたこともある。

 だが、96年に初代社長となった住宅金融債権管理機構(現・整理回収機構)では、不良債権の処理を強力に推し進めた一方で、強引な回収方法に批判も出た。在任中の一部の債権回収をめぐり、詐欺容疑で刑事告発されるなどの問題を受け、03年10月に弁護士廃業を宣言した。

 朝日新聞家庭面で00年7月〜01年12月、半生をつづった自叙伝「金ではなく鉄として」を連載した。


↓元記事 朝日デジタル
http://digital.asahi.com/articles/OSK201305050028.html


 記事を良く読むと、既に3日にお亡くなりになられたようです。






 世間知らずな私ではありますが、中坊さんのような人物が日本社会を支えてくれていたと思っています。
 余りの辣腕ぶりに、賛否両論があったのは当時の私の記憶にもあります。
 ただ批判を恐れていては何も出来ないことを、中坊さんは私に教えてくれた気がしています。

 今はたた、戦中・戦後を生き抜いた貴重な偉人を、静かに見送りたいと思います。
posted by オオルリ@卍解 | Comment(0) | TrackBack(0) | NEWS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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